【2011/04/06】 北関東マツダ

 私には、会津で被災した者、仙台出身で親友を津波で亡くした者、郡山出身で実家の家族が被災している者が友人におります。

 尚且つ後者二人は関東在住ですので地震も余震も停電も経験して今も現在進行形のいわば被災者。そんな友人が居る事で、今回特に「自分に出来ることは何か」という事は常々考えていました。

 道路の隅にずっと続く津波によって作り出された瓦礫の山や廃車の数々、一階部分がぐちゃぐちゃになった量販店や倉庫等の建物、そこに寄りかかる状態の車等々・・・想像はしていたけど普通じゃあり得ないような事をたくさん見ました。

 立寄ったコンビにでは、当然のように照明は半分落としてありますし、棚の商品も空になっている部分が多く生産も物流も滞っている影響は広島にもあるけどやはり関東は特に色濃いな、という印象を受けました。

 そういった部分で、関東の皆様の現実も見た気がします。

 これら現実を目の当たりにし、とにかく我々までも立ち止まってはいられないので、今まで通りはもちろん今まで以上に頑張っていかなくてはとの想いを強くしました。

 広島から日本を元気にしていけばいいと考えています。(北)

 実際の被災地を間近で感じ、今あたりまえにある物が一瞬でなくなる恐怖を強烈に感じました。私に出来ることを少しずつでも続けていきたいと思います。(加藤)

 ニュースや新聞等では伝わらない現場の雰囲気を感じてきました。
昨日までは何事も無かった所が無残に壊れている惨状を見て、言葉を失いました。

 早くあたりまえの日常生活に戻れる様、まわりでのサポートが必要だと感じました。

(三上)

 今回、ビリーブプロジェクトに参加して、実際に被災地の現場を目にすると、自然の驚異、怖さを思い知らされました。

 被災した販社さんの現場は、2メートルぐらいまで浸水した跡があり工場の中はぐちゃぐちゃで使えるような物は無い様に思われました。

 近くの川の中には、車が折り重なるようにして川の中に埋まっていました。

 この様な現場を見て、これから私たちに何が出来るのか、どの様な支援が出来るのか、本当に考えさせられました。

 どのような形であれ、少しでも出来ることがあれば何かやっていきたいと思いました。

 次にこの様な機会があれば、また、参加したいと思います。(楠)

 被災現場は非日常です。

 鉄塔の間にタンクローリーが挟まり、道路には流されたと思われる車が放置され、店舗のガラスは割れたまま、岸壁に乗り上げたタンカー・・・。普通に非日常があります。海岸線から数キロまでは壊滅的な被害状況を呈し、一方少し内陸に入った市外は表面上通常の生活が営まれていることも一層非日常を感じさせるものでした。

 現場は埃っぽく微かな異臭が記憶に焼きついています。

 もちろん店舗は被害を受けており、特にサービス工場の整備中の車が斜めに落ちていることが象徴的でした。

 店舗の裏手となる小さな用水路には流されている車が落ちたままとなっており、道路脇は使い物にならない家電、家具、流木等が山済みとなっていました。
その中で近隣の住民の方が箒で住宅周りを掃除している姿と箒の掃く音がまたむなしさとともに逞しさを感じさせるものでした。(沖田)

 広島マツダ・ビリーブプロジェクトということで、救援物資を運びましたが、本当に喜んでいただけるのかどうか、行く前は正直不安でした。

 しかし実際に救援物資を持って行ったときは、どこも暖かくお出迎えをしていただき、また感謝の言葉もいただきました。

 微力ながら少しでも役に立てたことを実感し、胸が熱くなりました。

 実際に被災地に足を踏み入れてみると、まるで戦争が起きたような荒れ果てた様子で、瓦礫やボコボコになった車が至るところに転がっており、道路はホコリまみれ、木々は倒され、タンカーは陸に打ち上げられていました。

 被害に会った自分の家の瓦礫や物を整理する方の姿も見受けられました。
自分にできること・今すべきことは何か…ここまで真剣に考えさせられたのは初めてです。

 今後は東日本大震災に関する報道も徐々に減り、国民の関心や支援の意識は徐々に薄れていくことと思います。しかし、被災地復興のためには、皆の支援が引き続き必要になります。

 家や車が無くなった方、家族を亡くされた方、インフラやライフラインの崩壊、物資不足、余震、原発等の影響等々…被災地には様々な問題が今後も多く残ります。

 直接力になれることは今後なかなかできないかもしれませんが、義援金等で支援することはできます。

 一番大事なことは被災地以外に住んでいる私たち一人ひとりが日本経済を支える、今まで以上に、被災者の方の分まで頑張るという意識を持って日々仕事をしていくことが日本のため、そして被災地復興にも繋がると思います。

 この度のプロジェクトに参加させてもらい目の当たりにした現実は一生忘れられない、痛みを伴った記憶になると思います。

 しかし決して忘れることなく、当たり前の日常の幸せや、生きている・仕事ができるという喜びを感じながら生きていこうと本当に強く思いました。(神垣)