【2011/04/07】 帰還

 広島より宮城県庁に向け新潟県経由で現地に入りましたが、向かう途中にも私たちの他、他府県ナンバーの支援物資を積んだトラックや電力会社の車両、燃料を満載したタンクローリー、自衛隊車両、警察車両を数多く見かけ、大変な所へ行くんだなあと、身が引き締まる思いがした。

 到着した仙台市内では、ライフラインはほぼ復旧している様に見えましたが所々電気が来ていない交差点などでは、他府県の警察官の方々が交通整理をしていらっしゃいました。

 こうして日本全国また、世界中から被災地の支援活動をしているのを肌で感じ胸があつくなりました。

 よく言われることですが、避難所とかテレビ・マスコミ関係に写っている所は比較的物資が届いていますが、自宅や仲間と一緒に避難して不自由な生活をしている人がまだ数多くいらっしゃると思います。そうした人達にも支援物資が届けられるようにと私たちのように企業を中心とした活動も重要だと思う。

 帰りの東北道ではまだまだ道路が波を打っていたり、ひび割れた所を応急的にアスファルトで補修していたり一応通れる状態にだけはしていました。

 この苦境の中、西日本から日本の景気を引っ張らなければ、今自分に出来る事を謙虚な気持ちでこつこつ努力して行動に移そうと強く強く思います。 (鼻崎)

 今回、被災地へ自ら物資の提供に赴くことはとても貴重な経験でした。実際に被災地の状況を自らの目で確かめられたこと。その復興支援に微々たる力ですが協力できたこと。自分一人では出来ないことをメンバー同士で協力しながら行えたこと。仕事の穴を埋めてくれた同僚に対する感謝の気持ち。家族、親戚のありがたさ・・・等々。ついつい当たり前だと思っていたことがとても大切なことなんだと改めて思い知らされました。

 ただ、まだまだ復興への道のりは長く続きます。今回の体験をふまえこれからも自分に出来ることを続けていきます。(木山)

 メディアで映し出される以上の悲惨さでした。海岸から3kmの内地まで海砂と瓦礫が散乱し、2m以上の高さまで浸水していました。私の親族も宮城県で被災しており、他人事ではありません。今後も復興へ向けての手助けを微力ながら、個人的にも続けていきます。(神尾)

 実際に被災地に入り無残な状況に言葉にもならず、ため息と悔しさばかりで・・がれきの下にはまだ人がと思うと、思わず手を合わせ線香を上げました。何とか「一日も早い救出と復興」を祈る思いで広島の地に帰り、家族・親戚・知人・仲間・逢う人、逢う人に被災地の状況を話し一人でも多くの方に避難されてる家族に安らげる住居と企業の早期復帰に協力と応援をお願いし続けています。(竹下)

 救援物資を届けた際の感謝の言葉を頂き、達成感と充実感も味わう事ができました。

 人によってはそれは自己満足だと思われる方もいらっしゃるかと思いますが、自己満足であろうと自分が行動を起こした事に意味があると感じております。
テレビではあまり報道されませんが、この度の震災で経済的に2次的な被害を 受けている方も多くいらっしゃる事も痛感しました。

 被災者に直接的に関わる物資の消費はご法度だと思いますが、必要以上に自粛するのは経済を滞らせ、結果的には復興の遅れに繋がるという思いを強くもちました。

(藤田)

 この度の東日本大震災において、お亡くなりなった方に心よりお悔やみ申し上げますと共に、絶大な被害に遭われた皆様にも心よりお見舞い申し上げます。

 4日間というハードなスケジュールでの支援活動でしたが、大事な支援物資を無事お届けすること、また広島マツダ全社員の思いを伝える役目のお手伝いもできたのではないかと安堵しています。

 津波被害各地の状況はテレビの報道・新聞等で何度も見て被害の有様を理解をしていたつもりでしたが、海岸地域に移動して行くほど異様な臭い、 悲惨な光景を目の当りにし、より一層の大きな衝撃をうけました。

 仙台塩釜港にも行きましたが、大きな工場の横に大型貨物船が打ち上げられているのを見て津波の起こした脅威に言葉もでませんでした。

我々キャラバン隊の帰路移動中、沢山の自衛隊・各県の機動隊・消防隊・医療関係の車両を見て思いました。

 我々も全国からの大勢の人と協力して一日でも早い被災者の平穏な生活、被災地の復興をお手伝いすると共にこの様な災害が起きないことを祈りましょう。(三浦)